日立合気修練会 開祖植芝盛平翁から齋藤守弘師範〜斎藤仁平塾長へと受け継がれた伝統岩間流を継承
6月27日に行われた、合氣道部OB・OG会は、台風の中盛会裡に終えることがてきました。
その中で、日高先輩発案の『思い出の記』(仮称)の冊子を作ることが、参加者全員の拍手総意で決まりました。
皆様には、それぞれの想いや、あれば任意の写真(1枚程度)を、下記の連絡先メールアドレスにWordやテキスト、画像を送ってください。
期限は、9月末とします。
必須事項は、
年号〇〇年度卒 氏名 〇〇 〇〇
文章は、最大40字✕36行、1440字A4サイズくらいまでとなります。もちろん、短くてもかまいません。
なお、印刷についてはAmazon出版とし、購入時しか費用はかかりません。
より良い、部誌となりますよう、皆様ご協力、ご拡散くださいませ。
連絡先メールアドレス ibadai.aiki.ob@gmail.com
2026年6月27日 茨城大学合気道部OB会 懇談会(茨城県立武道館 会議室にて)
2026年6月27日 茨城大学合気道部OB会 懇談会(茨城県立武道館 会議室にて)
2026年6月27日 茨城大学合気道部OB会 懇親会(水戸市 西濃にて)
【桜の門出と畳の青春】
桜舞う大学の正門をくぐり、私が踏み出した合気道への道。それは、空手の直線的な打撃とは対極にある、相手の力を受け流し、美しく舞うように地を転がる未知の武道でした。初めてその動きを目にした時のことです。圧倒的な躍動感と演武の美しさに、私は一瞬で心を奪われました。
稽古の後、吾一先輩や昌先輩に「今日、暇か?」と声をかけられた放課後。畳の匂いがまだ残る道場から、ファミコンの画面が賑やかに躍る狭い下宿部屋へと向かう道すがら。あの小さな部屋で雑談を交わし、互いの未来を熱く語り合った満ち足りた時間は、胸が激しく鳴るような、かけがえのない青春そのものでした。
【岩間での洗礼と、身体に刻まれた教え】
大学一年の夏、私は合気道の聖地・岩間道場へと足を踏み入れました。そこで待っていたのは、過酷な稽古と厳格な修業の日々です。連日の稽古によって、腕や背中には無数のあざが刻まれました。しかし、その鈍い痛みすら、己が少しずつ強くなっている実感が得られる歓喜の証であり、どこか誇らしくさえありました。
ある日の境内の草取りの最中、暑さと疲労から、つい地面に尻をついていた私に、斉藤守弘先生の鋭い叱咤が飛びました。先生は自ら立ち上がり、背筋の伸びた見事な姿勢を示してくださったのです。「いかなる時も姿勢を崩すな」という、身をもって示された教え。三十年以上が過ぎた今も、職場の花壇で草を抜くたび、あの日目にした先生の凛としたお姿と声が鮮明に甦り、私の背筋を自然と伸ばしてくれます。
またある時、若気の至りから、斉藤先生の技を「試そう」と頑なに抵抗したことがありました。先生がうっすらと笑みを浮かべられた、次の瞬間でした。私の視界は猛烈な速度で反転し、気づいた時には、天井の木目が視界を流れ、私は宙を舞っていました。圧倒的な深淵を前に己の小細工は一瞬で霧散し、未熟さを深く恥じるとともに、ただ無我夢中で先生の大きな背中を追い続けることを誓ったのです。
【畳の上から教壇へ、そして深まり続ける武の道】
大学卒業後、茨城県で教員となり、多忙を極める毎日の中で、次第に道場からは足が遠のいていきました。しかし、あの畳の上で培った武道の魂が途絶えることは決してありませんでした。「基本とは何か」「真の強さとは何か」を教育現場でも問い続け、顧問を務めた女子卓球部を何度も関東・全国大会へと導くことができたのは、あの道場で培った不屈の精神と、斉藤先生の教えがあったからに他なりません。
四十歳を過ぎてからは、太気至誠拳法やコンバットシステマという武道を探求しています。他流の理合を知れば知るほど、斉藤先生が示してくださった教えの真意が、より深く心に染み渡ります。あの日、岩間の道場で描いた大きな放物線は、今も私の人生の確かな軸となり、これからも遙かなる未来への道を照らし続けています。
高校は文化部だったから、大学では武道をしたいなという漠然とした理由だった。
平成元年入部。稽古は、ほとんど休まなかった。
茨城大学合氣道部は、茨城道場の直轄の組織。
たまたま開祖が戦後茨城県岩間町に住んで、武道を再構築する中で受けを取って、付き従ったのが、齋藤守弘先生だった。
だから、開祖直伝、開祖から全てを教わったと言いきった。
齋藤先生は、茨城道場長。仁弘先生は、若先生。
夏冬合宿も、審査も茨城道場で行った。
級の免状は、齋藤先生の印。段の免状は、合気会道主の印。
岩間の内弟子のマイルズ・ケスラーから土曜午前稽古を引継いで、かわいい後輩たちに教え、岡山から内弟子の内田先生との岩間での稽古を経て、ますます岩間、水戸と縁が深まった。
卒業後も、当たり前のように、学生稽古に参加し、岩間合宿も参加した。
転機は平成6年の鏡開き演武で、存在を知ってもらえて、即二段をいただいた。その後のデンマーク合宿を経て、だんだんと齋藤先生の受けを取ることが増えた。体の変更、特に諸手取り呼吸法は弟子の中で一番取らせていただいたと自負できる。
時代は流れ、仁弘先生、現在の内田先生になっても、齋藤先生が伝えた開祖直伝岩間の合氣道をこれからも愉しむことができる。
水戸での家を紹介してくれた吾一先輩、また合氣道部再興の後藤先輩、長年氣にかけてくれた日高先輩、創始者の西連寺先輩などなどの存在、各時代時代の後輩たち、村上、小川、汲田、永瀬、相沢、辺見、浦辻、中藤、荒井、中城、高橋、佐藤、小野寺、武田などなどの稽古やたくさんの部活外の遊び、酒飲みもあって、部が私の生き方の指針となっている。
合氣の徳により、合氣の鍛練ができると、昭和13年発刊の植芝守高名での武道に書いてある。
徳を積める、徳ある人になる合氣道を稽古し、合氣道部と関わってきて、よかったと心から言える。ありがとうございます。感謝しかありません。
最後に一つ、エピソード。NHKBSが撮影に来て、入身投げの受けを取った。齋藤先生から、正面打ちと言われたので、こちらから打っていったが、「馬鹿者!基本は仕手から打つものだ!」と、3回連続で投げられて、道場の端まで飛ばされたことがある。
強く盤石な齋藤先生を食らいました。
また、齋藤先生最後の演武となった秋田ワールドゲームズ。これも入身投げの受けを取りました。入身投げが崩れ、ともに倒れる捨て身技に変化しましたが、この時守弘先生が私の耳元に何を言ったかは、内緒にしておきます。